善友金属株式会社の開業は戦後、大激動の時代だった。

第1章

1952年、善友金属株式会社創業

18リットル缶に夢を託して

創業者の馬場勇は、物資運搬や保管用途における缶の優れた可能性を見出し、缶の専門商社として1952年、株式会社ゼンユーの前身である善友金属株式会社を起ち挙げます。
取り扱った商品の第1号は食用の油脂やラードに使用される18リットル缶です。社名の由来は勤めていた善隣貿易の同僚友人らと立ち上げたという理由で善隣の「善」と「友」の文字を組み合わせて名付けられました。

大阪市西区阿波堀の創業時のメンバー


1960年代に入ると多くの製薬メーカーとの取引きが増してきたことを機に、再生缶の販売から、新しい缶製品のみを製造・販売する方針へと切り替えます。自社製造することで輸送コストや納品までの時間短縮など取引先の要望に応えられる体制を敷いたのです。
1967年、大阪本社を大阪市西区から淀川区加島へ移転。主要得意先が多く存在するこの地域に移転することにより、仕入れ先で製造し、運搬されてきた製品をここに保管し直接納品できる体制を整えるためでした。同年の6月に提携先を関東エリアに拡大するため東京出張所を開設。以降、事業規模と拠点を急拡張させていきます。山口県の小野田工場看板

第2章

販売代理店からメーカへ

新たな使命感と責任感の全うで成長

1970年代に入ると善友金属は大阪にも自社工場を立ち上げ、メーカーとしての地位を確固たるものとしていきます。相手の求めるもの、時代が求めるものに対してスピーディーかつきめこまやかに応えていくためには自社製造の必要性を強く感じていたからに他なりません。以降国内各地に拠点を構え、工場を建築していきます。
善友金属の得意先に密着した対応と、粘り強くて地道な営業活動は、人間関係を主とする信頼の構築に大きな影響を与え、業界内で高く評価されています。

利用後救急箱として使用されたパッケージ

カツオ缶の商品群

製薬メーカーとのつながりで信頼を構築

缶製品を単なるパッケージとしてだけでなく、整理棚や収納棚、時には救急箱など二次利用できるパッケージとして斬新な提案をし、新たな活路を見出したことは取引先にも高く評価されています。
多くの製薬メーカーや食品メーカーの要望に応えていく中で様々なアイデアを出し、試行錯誤を何度も繰り返し製品化に至ってきたことは品質向上に役立ち、モノ造りに対する姿勢と信頼構築に拍車をかけてきました。
独自の発想とオリジナリティを強く打ち出した営業体制は現在にも強く息づいています。

第3章

「Can’tをCanに変える」

夢の容器包装創りをめざして

昭和から平成へと時代が移り、「Can’tをCanに変える」という善友イズムはさらに強化されていきます。
「善友がないと困る。」という企業になること。頼られることで「他社ができないことをウチは諦めずに発想力と技術力でクリアする。」この精神が顧客の要望を満たし、自社の技術を高めることにつながり企業規模の拡大につながっていきます。1998年山梨県甲府市に山梨営業所を開設、従来の缶に工夫を加え、シール缶や18リットル缶など金属容器のシェアを一気に拡大します。
2013年開設の滋賀工場

2003年東京営業所の移転開設祈願

社名を変更し更なる飛躍を誓う

物流費の削減、小ロット納品、在庫削減など得意先企業が抱える諸問題の解決に真摯に取り組んできたことも大きな要因です。幾度もの試行を重ね、現主力商品となったテーパー缶も当時の開発製品です。2013年滋賀工場の開設、2015年には栃木工場を開設し生産ラインはさらにフル稼働し、効率化され新たなステージを迎えました。2018年CIを導入し、善友金属株式会社から株式会社ゼンユーへと社名を変更し私たちにしかできない包装資材を私たちにしかできないオンリーワンな手法でカタチにしていきます。それがゼンユーの願い。そう、「なんでも包む夢の容器包装」を目指して。